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■はじめに
大峰山脈の「奥駈道(おくがけみち)」といわれる縦走路は、北は吉野山から南は熊野本宮大社までの、全長約150キロにもおよぶ日本屈指の修験道である。この縦走路の北半分を4日間かけて縦走することになった。北半分といっても、山上ヶ岳は女人禁制のため、大普賢(だいふげん)岳からスタートして、笠捨山まで歩く計画だ。
今回、奥駈道を縦走するにあたって、一番の問題が水の補給だった。情報によると、地図で標記されている水場は出ていたり、出ていなかったりと、なんとも頼りがない。そのため、余分に水を担がなければならず、テントはやめて避難小屋泊まりとした。
■1日目 自宅〜和佐又〜大普賢岳〜行者還小屋
奥駈道縦走に誘ってくれたKご夫妻との山行は8月の早月尾根以来だ。ますますアルパインクライミング道まっしぐらのご夫妻、山行企画がどんどんハイレベルになってタジタジの私。そのうち山の中でおいてけぼりを食らいそう。
朝5時にもと寄りの駅前で拾ってもらい、和佐又(わさまた)ヒュッテに到着したのは8時だった。奈良県といっても今回の交通費は、北アルプスの主な山にいくのと変わりがない。それだけ山深いということか。世界遺産に登録されてもアプローチは相変わらず難しい。ヒュッテの水は無料。行動用を含んで3.5リットルの水を担いだ。8時半に紅葉まっさかりの和佐又を出発。
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人気の山小屋、和佐又ヒュッテ |
曇って写真ではイマイチですが紅葉はきれい |
大普賢岳は2度目だが、こうして縦走で歩くことになるとは、前回は想像もできなかった。不思議な気持ちで白く煙る登山道を進んでいった。笙ノ窟(しょうのいわや)で休憩。大きな岩をくりぬいたようなこの場所は、昔、行者が冬ごもりで修行したといわれる行場だ。こんな吹きさらしの場所で冬に?科学技術の恩恵を受け、快適な登山ができるようになった我々には、想像もできないことだ。昔の人は命をかけて修験道を歩いていたのだろう。
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笙ノ窟で。岩から水がしみ出ています |
山頂まで梯子の連続。一気に標高を上げる |
連続する梯子を登って奥駈道に出合い、大普賢岳に11時到着。ちょうど晴れてきて山上ヶ岳や稲村ヶ岳を見ることができた。山頂から少し下ったところにある、水太覗(みずふとのぞき)でお昼ごはん。晴れていればここから見る紅葉が素晴らしいのだが、東側は真っ白で何も見えなかった。12時に再出発。
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日帰りの登山客でいっぱいの大普賢岳 |
水太覗で大休止。エネルギーを補給 |
大普賢岳からは岩の鎖場が続く。こんなに大変やった?と感じるのは重荷のせいか。稚児泊(ちごどまり)ノ宿跡、国見岳を越えて七曜岳の岩場の狭い山頂に13時30分ごろ到着。七曜岳では展望が得られなかったのでそのまま通過、しばらく歩くと西側に絶景が。神童子(じんどうじ)谷の紅葉が素晴らしい。
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稚児泊ノ宿跡は広いところ |
縦走路はイマイチ展望はよくありません |
七曜岳の狭い山頂 |
神童子谷の紅葉。実際に見てほしい |
七曜岳から和佐又への分岐を横に見送ってそのまま直進。ここから先は、誰もいない静かな道。赤や茶色の落ち葉が敷き詰められた美しい道だった。緩やかにアップダウンを繰り返して、見覚えのある分岐に到着。行者還(ぎょうじゃがえり)岳へ空身で向かう。15時に行者還岳に到着。
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奥駈道の立派な道標。6月には無かった |
行者還岳山頂。当然なにも見えず |
ここまでくれば小屋はすぐそこだ。今にも壊れそうな木製の階段を下りきったところに水場がある。6月に来た時には出ていなかった水が出ている!充分な水を担いできたとはいえ安心した。小屋に15時40分到着。我々以外誰もこなかった。本日は雨が時折降るあいにくの天候だったが、ラジオでは明日は晴天だと告げていた。
寒いので梅酒を調子よく飲んでいたら半分になってしまった。これでは明日で無くなるではないか!煩悩いっぱいで1日目を終える。夜は、冬用シュラフでフリースを着て寝たら、暑いくらいだった。3シーズン用で充分だったか。
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貴重な水。出ていない場合もあります |
行者還小屋は広くてきれいです |
2日目は[大峰奥駈道 Part2]に続く!
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