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■はじめに
2006年4月1日の大菩薩嶺での夢のようなオフ会を開催してはや1ヶ月、しげぞうさん夫妻がGWに大峯に登るということを聞き、あつかましくも同行させていただくことにした。
ところが、である。しげぞうさんとダンナさんから送られてきた計画を見て呆然。和佐又(わさまた)から前鬼(ぜんき)まで2日間で縦走する、というものだった。2005年11月に和佐又から行仙岳を縦走した時は、和佐又から太古の辻まで2日半かけている(避難小屋泊まり)。さすが健脚のしげぞうチーム、恐るべしである。ついていく自信があまり無かった。しかも、事前調査で役場に電話をかけると、まだ残雪があるとのこと。役場のお姉さんの言葉でさらに不安になった。
■1日目 自宅〜和佐又ヒュッテ〜和佐又山往復
近鉄大和上市駅にて、しげぞうさん夫妻と1ヶ月ぶりの再会を果たし、しげぞう号に乗り込んで、まずは修験道に入る前に入之波(しおのは)温泉で身を清め(?)和佐又ヒュッテに到着。ヒュッテ前にテントを張ってから和佐又山に向かう。往復1時間ぐらい。山頂からは大台ヶ原、大普賢岳、弥山、八経ヶ岳がくっきり。申し分ない天気だ。八経ヶ岳の山肌に想像以上の雪がついていた。「雪、多いですね・・・」と不安に。
テントに戻ると、大人数グループが現れたので、ここはグループに場所をゆずり、上部にあるキャンプ場に移動することにした。この我々の行動はあとでまったく意味がなくなったわけだが。上部のキャンプ場は、車+キャンプ用テントの組み合わせで、さながらオートキャンプ場となっていた。しかし、喧噪のオートキャンプ場であろうとも、きっちりと19時にシュラフにもぐりこんだのであった。どんな状況でも山のために寝る、これも修行のうちなのだ。
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和佐又山にて。左に見えているのが八経ヶ岳 |
よりによって我々の横で焚き火ですか… |
■2日目 和佐又キャンプ場〜大普賢岳〜行者還岳〜弥山
いよいよ縦走の日。4時50分に寝静まるキャンプ場を出発。歩く順番は、私、しげぞうさん、ダンナさん。これは最後まで変わらず。迷ガイド、さらなる不安が。長い冬の間、すっかり熊さんの存在を忘れていた。熊鈴を持ってくるのを忘れていたのだ。そんな時になぜかタイミングよく見つけてしまうのだ。木の幹に激しく爪でひっかいたような跡を・・・。
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山慣れた歩き方で無駄のないしげぞうチーム |
笙ノ窟で休憩。段々修験道っぽくなってきました |
しっとりとした樹林の道から、やがて梯子の連続する厳しい道へと変わっていく。和佐又から大普賢岳まで標高差およそ640メートルを一気に駈け上がる。しげぞうさん夫妻の黙々と速く進むペースに逃げるように歩いてしまい、飛ばし過ぎてしまった。これが後々響くことになる。小普賢のピーク直下を過ぎたあたりからところどころ残雪が出てきたが、アイゼンは必要なかった。
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朝っぱらから梯子の応酬。わっせ!わっせ! |
小普賢を過ぎたあたりから残雪が…(※) |
いよいよ、奥駈道といわれる大峯の縦走路との出合いに近づくと、何やら雪の壁が。驚いて進むと、縦走路には雪がないのだが、雪庇がまんま残っていたのだ。今冬の豪雪は、ここ大峯でも例外ではなかったのだ。大普賢岳に7時到着。
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大普賢岳に到着。誰もいない山頂を独占(※) |
大普賢岳から下ると落ち着いた雰囲気に(※) |
誰もいない静かな山頂で山上ヶ岳や稲村ヶ岳の展望を堪能して、奥駈道をさらにつき進む。弥勒岳あたりでダンナさんが地図をチェック、というか常に地形図を見ながら歩いていらっしゃる。山屋の鑑やね。薩摩転げを慎重に通過して、七曜岳(しちようだけ)、そして行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)へとアップダウンを繰り返していく。この間、数人に追い抜かれた。いずれも健脚でさっさと歩いていく。
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薩摩転げ付近。急な下りの連続で気が抜けません |
振り返ると大普賢岳の大小屹立したピーク |

緊張の岩場を終えると癒し系登山道(※) |
さらに気持ちのよい笹の道(※) |
行者還岳へは分岐からの往復なので一旦ザックを置いていく。行者還岳到着9時10分。山頂からは弥山と八経ヶ岳がいよいよ目の前に迫って見えていた。弥山への登りは厳しいのが一目瞭然だ。行者還岳から急な梯子の道を下って、行者還小屋へ。急な梯子を降りる場合、しげぞうさんと私は迷い無く、くるりと後ろを向いて、手と足を使って降りるのだが、ダンナさんは80lのザックを背負っているのにも関わらず、前を向いてひょいひょいと降りる。「なんでそんな身軽なんやー!」途中の水場では水が出ていた。
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手前が行者還岳、背後が八経ヶ岳 |
空身になったとたんすごい速度で歩く健脚夫婦 |
行者還岳の山頂より。下の林道まで見えています |
行者還岳の水場では水が出ていました |
さらに笹道の登りくだりを繰り返す。行者還小屋からの道はあと1ヶ月もすれば花でいっぱいになるだろう。ネコノメソウや、バイケイソウの葉が登山道にまで元気に生えていたが、少々殺風景であった。
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バイケイソウが元気に芽を出していました |
これ何の芽かな? |
ようやく行者還トンネル西口と奥駈道の出合に11時30分到着。ここからはトンネル西口の登山口から八経ヶ岳に至る登山者が少しいただけで、思ったより人が少ない。ここからが最後のがんばりだ。6時間半の行動の仕上げにあと390メートル標高を上げなければならないのだ。「ゆっくり行きましょう」とだれかれとなく念を押すように言って出発。
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奥駈道の出合にて。これからがふんばりどころです |

弥山最後の登り。永遠に続くかのように感じた |
弁天ノ森や、理源大師像前できっちりと休んでも最後の弥山への登りはこたえた。ただ、右側に大普賢岳が遠くに見えて、あそこから歩いてきたんだなあ、という満足感だけで足を動かしていたような気がする。弥山小屋が見えても、足が重くて進まない。やっと小屋前に着いたときはしばらく立ち上がれなかった。やっぱりペースが速すぎたのだ。さすがのしげぞうさん夫妻も、このコースを1日でやるのは少し無理がある、という悟りを開いたようで・・・。でもいつものおふたりのペース配分だったら楽勝コースだろう、申し訳ない。
小屋前は縦走してきたグループで賑やかだった。聞けば、前鬼から1日でここまで来たとか。我々よりもずっと年上の方々。小屋泊まりとは言え、私がその歳になってもそんな行程をこなせるのだろうか。あと、テント場に遅く到着した男性は、なんと五番関から一気にここまで来たと言う。いずれも健脚揃いの奥駈道であった。
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テント場より。大台ヶ原もくっきりの展望 |
国見八方睨より。大普賢岳が遥か遠くに… |
夕暮れに飛行機雲 |
立ち枯れの木々の向こうに八経ヶ岳 |
弥山山頂も少しだけ雪が残っています |
弥山小屋前。ツェルトの人もいました |
2日目は[大峰奥駈道 Part2]に続く!
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